watashi

『少年たち』にとって重要なのは脱獄でない

 

 

『少年たち〜Born TOMORROW〜』@大阪松竹座(2017.11.4 sat)

行ってきました!!!!

 

出演は、SixTONESSnow Manのイケイケのおとなのお兄さんたち12人。めっっっちゃカッコイイ。

 

 

 

 

 

セトリと演目は以下の通りです。

 

オープニングショータイム

Daybreaker

Be CRAZY(スト)

Acrobatic(スノ)

BAD BOYS

 

一幕

1.OPENING

時の彼方/Fight!/The Night New York

2.刑務所の少年たち

俺たちは上等

3.それぞれの事情

僕に聞くのかい?/嗚呼思春期/Vanishing Over

4.回想

Rival -Battle-

5.対立と和解

Beautiful Life/闇を突き抜けて

戦争の影

少年たちの夢

僕に聞くのかい?

6.ジェシーの徴兵

 

二幕

7.夢

Pray/君の瞳に恋してる

ライブハウス

茜空

8.Dancing!

9.戦場

ラジオ

10.ツアコン

11.再会

裸の少年

12.戦場

君にこの歌を/あいつのぶんも生きる

13.EPILOGUE

君にこの歌を

 

SHOW TIME

NON STOP

VI Guys Snow Man

JAPONICA STYLE

Boogie Woogie Baby

Amazing!!!!!!

epilogue

We'll be together

 

 

 

あのね、とにかくね、たった12人だけで松竹座の舞台に立っているのが新鮮だった。(いつもはわちゃわちゃ大人数が当たり前の関ジュ。)

人数が少ないからこそ、影の演出とかできるんだよなあ…って羨ましくなりました。オシャレ。

 

 

 

 

さて、今から書こうと思うのは、今年の夏に大阪松竹座で上演された関ジュの『少年たち』とスノストが上演した『少年たち』の両方を観たうえで思ったことです。

 

前提として、パラレルワールド的に

ムカイ=イワモト、ニシハタ=ジェシー、オオニシ=キョウモト

です。

とか言いつつ、関ジュで死ぬのはオオニシ、日生ではジェシーが死にます。関ジュの少年たちは、ストーリーにアナザー風味がだいぶ強かった(風味というかもはや味付けだった)ので、ちょっとズレが生じます。

 

 

 

 

今回二種類の『少年たち』を観劇して大きく思ったことは、ふたつ。

 

まずひとつめは、


ということです。
スノストの『少年たち』は脱獄しないし、幼い弟もいないし、そもそもチームのリーダーは兄弟じゃないし、根本の『少年たち』のストーリーが関西の『少年たち』とはまるで違いました。

しかし、ストーリーがぜんぜん違うからこそ、同じセリフがあることで、関ジュの『少年たち』とスノストの『少年たち』は違う世界なのに、その世界同士がリンクするようで面白かったです。同じセリフが浮かび上がるようにして際立つ。

 

看守長「ムカイ/イワモト、お前は何をした?」
ムカイ/イワモト「お前らには関係ない!」

ムカイ/イワモトがなぜこの少年院に来たのかを聞かれ、その後に嗚呼思春期を歌うところ。

関ジュとスノストの『少年たち』の中でここって全く同じこのセリフなんです。でも全く同じセリフを吐くまでのバックグラウンドって、コウジとイワモトでぜんぜん違うじゃないですか。
というより、『少年たち』のストーリー自体が違うので、こういう共通点、つまり『少年たち』を上演するとなったときに削られない・譲れないセリフや曲、演出そしてたどり着いた終結である「君にこの歌を」こそが『少年たち』なんだなあと思いました。

『少年たち』は“脱獄”がテーマでは無かったということです。

(脱獄しない『少年たち』である一昨年の日生も観たし、去年の日生も観たのに今更気づいた)

 

ふたつめは、

 ということです。

関ジュとスノスト、両者とも何か理由があって少年院に入っているわけだけど、でもぜ〜んぜん違う!

ツイートでも言ったんですけど、関ジュは幼いイメージがありました。その理由として、仲間同士で固まってるイメージが強かったから。

もちろん演じてる子たちが若いからそう感じるってこともあると思います。でもそれだけじゃない。みんなで戯れてるイメージがすごくある。みんなで戯れてるシーンが多かった。あと、スノストよりも仲間意識が強かったのかなあ。赤チームと青チームのチーム分けもくっきりはっきりしてたから。関ジュがみんなで脱獄を図るとき、みんなで協力をし合っていることも大きい。

 

一方スノストは、“個”のイメージが強かったです。それぞれが自分の夢を、少年院にいるときから抱えることになる。“個”と言いつつも、その夢は二人組や三人組で叶えたりしてるから「ひとり」ってことはないんです。でも「ふたりじゃないといけない」って感じがしない、「結果、ふたりだった」っていう感じがしませんか?

 

 

しかし共通だったのは、夢のために仲間で行動することです。

関ジュの『少年たち』は、少年院から出ることが少年たちの夢であり、スノストの『少年たち』は、刑期を終え出所した後ジェシー救うことが彼らの夢になった。この夢は彼ら少年たちを団結させたし、その夢を叶えることは希望だった。前者は叶い、後者は叶わない。

 

 

 

でも、『少年たち』の重点はそこじゃない。

その後だ。

その後、また新たな夢へ向かって行くことを想像させて終わる。勝手に空想広げること大好きジャニヲタからすると、なんかもうアツいエモいしんどいってなる。あとめっちゃみんなの幸せを願うヲタクになる。みんな幸せになってほしい。

 

 

 

 

 

ということで、上記のわたしが思ったことの大きなふたつは、結局は共通している。

 

『少年たち』は脱獄する話ではないんだ。

 

一度は夢も希望も捨てた彼らが、また明日を夢見ることが終着点である、物語だ。

 

脱獄や徴兵など、それ(終着点)までの過程が違うだけの話だ。『少年たち』は、きっとそういうことなんだ。

 

 

 

改めて、最後にみんなで歌う「君にこの歌を」が大切な曲すぎて、なんかもう好き。めっちゃ好き。

 

『少年たち』のサントラ欲しいって言ってたんだけど、舞台に行った人だけが聴けると思うと、ちょ〜優越感でヤバい。こんな前向きな曲知らない。突き抜けて明るい歌詞とかポップなメロディなわけじゃない。なのに、絶対的に前向きで優しくって明るい音楽なんですよね。

でもそうやって思えるのは、きっと、『少年たち』のストーリーの一部であるからなのかしら。だからこその、この曲の価値があるのかもしれない。あ〜舞台って最高。

でもウソやっぱりサントラ出して。